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『フルーツバスケット』語り

漫画語り

前話で登場した、草摩杞紗。
いじめられて口がきけなくなった彼女を、紫呉宅にて預かることになる。
透の言葉をきっかけに、以前より心を開いていても、杞紗は未だに話すことはできないまま。
杞紗の背中を押したのは、
寄り添った透でも、心配して杞紗を探し出した潑春でもなく、  由希だった。


「“自分を好きになる”ってどういうことなんだろう。
 嫌いなところしかわからないから嫌いなのに
 無理やり探してもこじつけみたいで空しい
 …そうじゃないんだ
 誰かに“好きだ”って言ってもらえて初めて、自分を好きなれると思うんだ
 誰かに受け入れてもらえて初めて、自分を少し許せそうな、好きになれそうな気がしてくると思うんだ」

 

フルーツバスケット/28話より

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当時、リアルタイムでいじめを受けていた(と思っていた)私は、本当にこれですくわれました。

自分が捨てたごみの山を誰かが指さして、
「ここに宝石があります探してください」って言われて、誰が信じるか。

そうじゃなくて。
ただ、好きですよって。
裏も表も押し付けもエゴもないその言葉が、救いで。
認められることが、どんなに救いになるか。
それがたとえ、漫画からの言葉であっても、それは確かに救いでした。

フィクションは人を救います。
体験した私がいるので、断言します。
ただの夢物語じゃない、心のこもった何かは、人を救います。


自分で自分をまず好きになることは大切だと思う。
それはわかる。今ならわかるよ。自分を“愛する”のは大切だ。
けれどそれすらできない人もいる。

自分ができることが誰しもできると思わないで。
誰しも自ら自分を好きになれると思わないで。
気づけないこと、おかしいだなんて思わないで。
もったいないと思うのなら、美しいと思うのなら、教えてあげて。
押し付けるのではなく、そっと、好きだよって言ってあげて。

そして、その人がその人であることが、笑顔であることが、
誰かを救う。誰かを幸せにする。
格好なんてつけなくていい、自分でいい、あるがままでいい。
自分の知らないところで、自分の知ってる誰かが知らない誰かが、救われてる。

 

15年前、私はこの話に救われました。
そして何度でも、この話から勇気をもらいます。

「大切なのは 弱さゆえの向上心」

杞紗も由希も、とても強い。
人の想いを受け取って、糧にして、進んでいく。
その場に甘えない。受け入れてくれる場に甘えない。

受け入れてくれた人を、
居場所ではなく、帰る場所にする彼らの背中は、最高に格好いい。